わかってもらえたという実感

なかなかわかってもらえない。

 

そういう場面って経験ありますか?

 

自分が本当に言いたいこと、伝えたいこと、自分の気持ち、思い、立場、葛藤、難しさ・・・

 

特に困っていることや苦しいことをわかってもらえないと、私たちは実に悲しい、やりきれない思いをします。

 

せっかくかけてもらった言葉であっても、こんな風な思いになってしまいます。

 

「ああ、そんなとこじゃないのに、違うのに・・」

 

 カウンセリングの中でも、こうした話はよく聞かれます。友達や親や先生に打ち明けたけど、ちゃんとわかってもらえなかった。慰められたり、励まされたりしたけど、うれしくなかった。アドバイスされたり「私も同じ」と言われたけど、少しも救われなかった。そういう声をたくさん聞いてきました。

 

ただ、カウンセラーはともかく、他の人は話を聞くプロでも、相談の専門家でもありません。

人の相談に乗るというのは、そんなに簡単に出来ることではないんです。

だからこそ、カウンセリングという専門的な相談の機会があるわけです。

 

お金を払って、毎回通うという労力を払うに見合ったものを得られるのは、対応する人間に専門性があるからです。

しかし、少なくともお友達や家族には、そうした専門性はありません。

だから、いくら仲良しで優しい相手でも、きちんと応えられないのは、ある意味、当たり前といえます。

専門性が無いので、相談されたり打ち明けられた側は、どう反応して良いかもわかりません。

そのため、どうしても専門家よりも不適切だったり、中途半端な反応になりやすいのです。

でも、相談したり打ち明けた方は真剣に勇気を出してのことだったので、その対応にショックを受けるのです。

 

そう、皆さんが考えているよりもはるかに、相談に乗るという行為は難しいのです。

 

専門家は、相談内容や相談者に対する捉え方が一般の人に比べ、その精度も深さも的確さ(適切さ)も次元がちがうのです。それに、そのようなことで大切な友達や家族との関係が微妙なものになるのも、もったいない話です。

 

相談に乗る側も「良かれと思って」やったことが微妙な感じになると、何か釈然としない気持ちになるものです。

 

そう、そこに善意があるからこそ、かえってややこしい問題に発展することもあるのですね。

そういう意味では、カウンセリングはシンプルです。

お金を払って行うので、一つの契約関係だからです。

でも、この契約関係、そして面接時間もきっちりと守ることで、何の遠慮や気兼ねもなく相談ができます。

しかも、しっかりとした専門性があれば、微妙な感じになるどころか、解決に必要な対話や行動のヒントを得られます。そして、ここが一番肝心なところなんですが、相談することで自分の伝えたいこと、本当の気持ち、悲しみや苦しみを理解してもらえます。そう、理解された、わかってもらえたという確かな実感を得られる経験ができます。

 

実はこの理解された、わかってもらえたという実感こそが、立ち直るためには最も大きな威力を発揮するのです。

私たちは自分のことをわかってもらえた時に、大きな喜びや安らぎ、また、癒しを感じます。

この喜びを経験することで、心の中に勇気と気力が湧いてくるのです。

私のいう専門性とは知識だけでなく、こうした関係性を生み出す力も指しています。

 

カウンセリングでは、2回目に来談された方が、面接の冒頭でよくこんな風におっしゃいます。

「前回、お話を聞いてもらった後、気持ちが楽になり、今までよりも落ち着いて過ごせました」

これは、専門的なアドバイスをされたからではなく、自分の様々な胸の内を、

これまでにない程に「わかってもらえたという実感」を得たからです。

それほどに「わかってもらえた」「理解された」という経験は、私たちの心を大きく動かすのです。

そして、人の気持ちを理解するには、理解できるだけの力(専門性)が必要です。

 

 

わかってあげたいという気持ちや愛情だけでは、人の気持ちはなかなか理解できないのが実際なんですね。